2016/2/28 16:32

1994年4月の冬木弘道~理不尽大王となって狂い咲いた影の実力派レスラー~【ぼくらのプロレス物語】

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1994年4月の冬木弘道~理不尽大王となって狂い咲いた影の実力派レスラー~【ぼくらのプロレス物語】
5.0

元々、冬木弘道はトップレスラーではなくバイプレイヤーとしての働きが評価されていた男である。

1987年、全日本プロレスで結成されて天龍同盟でも冬木は"縁の下の力もち"であり続けた。
1990年にSWSに移籍しても、1992年にWAR旗揚げに参加しても、冬木は天龍同盟時代からの大将・天龍源一郎を支えるバイプレイヤーであり続けた。

そんな冬木が動いた。

1994年4月21日WAR﹅岐阜大垣大会でのこと。
WAR軍VS反WAR軍のシングルマッチ5連戦。
WAR軍の大将戦に登場した冬木は、反WAR軍の大将として登場した阿修羅・原を破った。
試合後、冬木は同年3月に天龍と原がFMWの大仁田厚とターザン後藤に敗れたことに言及。
二人の戦犯に対して、責任を取れと発言したのだ。
そして、反WAR軍の邪道と外道を呼び寄せて合体したのだ。

「あんなジジイばかりじゃしょうがないよ。大仁田と後藤なんかに負けて…。川田が『チャンピオン・カーニバル』に優勝したことも考えさせられたよ。あんなショッパイ奴がトップ取れるんだよ。あんなのに俺が負ける要素ないよ。モノマネだけで自分のものが何もないじゃないか。川田とやらせてくれるなら全日本に行くよ。ウチの会社で這い上がろうと感じるのは邪道と外道だけ。この二人と勝って勝って、勝ちまくって…高く買ってくれるところにいくから」

冬木が目に付けた邪道と外道は当時、キャリア5年25歳のインディー出身のプロレスラー。
実は冬木も元々国際プロレス出身。
底辺から這い上がろうとする人間の気持ちは冬木には理解できた。

「この二年間、みんなで死ぬ思いして…天龍さん支えて、原さん支えて、死んできたよ。それが大仁田と後藤に負けて情けない…冗談じゃねぇや。この会社が俺をここまで追い込んだんだよ!」

こうして、冬木と邪道と外道の三人は「冬木軍」を結成した。
冬木は次々とビッグマウスで吠えまくる。

試合前のコールでは「名前の前に"マッチョバディ"とつけろ!」と難癖をつけた。
フットルース時代のパートナー川田利明の得意技であるストレッチプラムで勝利後、「今の技は冬木スペシャルだ」とウソぶいた。

憎まれっ子、世にはばかる。

冬木は時代の寵児となった。
邪道と外道との冬木軍は1994年6月には初代WAR世界6人タッグ王座決定トーナメントに優勝し、初代王者となった。

いつしか冬木の発言は"理不尽節"と呼ばれ、"理不尽大王"という異名をほしいままにしていった。

団体のために、大将のために"死んできた"男の決起は、プロレス界全体を巻き込むムーブメントとなっていった。
それはもしかしたら天龍同盟のメンバーだった冬木による形を冬木色に変えた"天龍革命"だったのかもしれない。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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