2016/2/26 7:27

1994年10月、帝王ライガー欠場の中で史上初のジュニアタッグリーグ戦の主役となったのは22歳の大谷晋二郎だった【ぼくらのプロレス物語】

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1994年10月、帝王ライガー欠場の中で史上初のジュニアタッグリーグ戦の主役となったのは22歳の大谷晋二郎だった【ぼくらのプロレス物語】
5.0

1994年の新日本プロレスを振り返ってみるとジュニアヘビー級の躍進が目立った一年だったと言える。

4月にはジュニア・オールスター戦「スーパーJカップ」を両国国技館で開催し、大成功を収めた。

5月から「トップ・オブ・ザ・スーパージュニア」改め「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」が開催され、当時みちのくプロレスに在籍していたスペル・デルフィンやTAKAみちのくが全国区の人気レスラーとなった。

そして10月には史上初のジュニアヘビー級選手によるタッグリーグ戦「スーパージュニア・タッグリーグ戦」が開催された。
優勝候補は獣神サンダー・ライガー&二代目ブラック・タイガーだった。
だが、9月24日の名古屋大会でライガーが足を骨折し、無念の欠場となった。

ジュニアヘビー級の地位を高めてきたのは間違いなくライガーである。
日本、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ、オーストラリアと世界中を転戦しながら、ジュニアの普及に努めてきた。
当時のライガーはジュニアの帝王というべき存在だった。

そんなライガーの欠場はリーグ戦に大きな影を落とした。
ライガーの穴を埋めるべく代打を務めたのが、ライバルのザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス)だった。
サスケは4月のJカップでの活躍によって全国区の人気レスラーとなった。
準決勝のライガー戦に勝利し、多くのファンを感動させた男。

しかし、ライガー欠場に燃えた男がいた。
キャリア2年弱、22歳の大谷晋二郎だった。
大谷はワイルド・ペガサスとのコンビでエントリーしていた。

サスケ&ブラックVSペガサス&大谷はジュニアタッグリーグ戦の決勝戦で対戦した。

1994年10月18日、岡山県体育館。
試合は壮絶を極め、フラフラになりながら無意識の中で大谷がブラックにドラゴン・スープレックス・ホールドで勝利して見せた。

この試合について、プロレスライターの金沢克彦氏はこのように解説している。

「ライガーがいないと他の選手達は普段以上に気合が入るので意外と名勝負が生まれる傾向があり、この優勝戦もそのひとつです。終盤、肩車されたブラックに大谷がスワンダイブ式フランケンシュタイナーを仕掛けた際に形が崩れ、ふたりは頭を強打。最後は記憶が飛んだ状態で闘っていました。試合後、大谷は『体が動かない…』と言いながら倒れて救急車で病院に搬送され、その姿を見た石澤常光(ケンドー・カシン)は『命懸けですね。僕にはできません…』と言っていました。敗れたブラックも病院に運ばれましたし『新日本ジュニアの壮絶さ、ここに極まれり!』と感じた一戦でしたね」
(燃えろ!新日本プロレス VOL.64/集英社)


涙でグチャグチャになっていた大谷は朦朧としながら試合後、控室でこう語った。

「ライガーさん、早くリングに帰ってきてください!そうしないと僕がライガーさんがいない間に、ライガーさんを追い抜いちゃいますよ!」

大谷晋二郎22歳。
男は骨の髄までプロレスラーである。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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