2016/2/25 7:21

あの伝説の犬軍団と"キング・オブ・ストロングスタイル"中邑真輔が共闘していた!?【ぼくらのプロレス物語】

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あの伝説の犬軍団と"キング・オブ・ストロングスタイル"中邑真輔が共闘していた!?【ぼくらのプロレス物語】
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あなたは新日本プロレスが誇る伝説の犬軍団クレイジードッグスを覚えているだろうか。

"狂犬"小原道由、"人生バックドロップ"後藤達俊、"ミスター・セントーン"ヒロ斎藤といった確かな実力を持つ中堅レスラー達に、"大和魂"エンセン井上をボスに迎えたユニットである。

2003年1月に結成されたクレイジー・ドッグスとは元々、1997年10月に一時期、平成維震軍を離脱した後藤達俊&小原道由のコンビがベースとなったものである。

1997年10月に平成維震軍を離脱した後藤と小原は当時爆発的な人気を誇っていたヒールユニットnWoJAPANを接触しようとした。
ヒロ斎藤の仲介もあり、タッグを結成する機会もあった。
だが、リーダーの蝶野正洋は彼らを正メンバーにしようとしなかった。

維震軍の袴から「extreame attitude(過激な態度)」と描かれた黒のTシャツと黒ジーンズに変貌した後藤と小原は、結局nWoJAPANから見放され、1997年のSGタッグリーグ戦での蝶野正洋&武藤敬司との対戦で、二人は制裁を受ける。
特に、小原は革ベルトで首つり状態となり、しかも背中に「犬」を黒スプレーで落書きされる屈辱を味わった。
だが、これによって後藤と小原は開き直った。

犬なら犬で結構だ!

屈辱を味わった後も小原の背中には「犬」の文字が書かれてあった。
1998年1月に小原が天山広吉の対戦相手としてアメリカWCWに招聘されたときにも、誰が書いたかわからないが、背中には「犬」と書かれていた。

蝶野と武藤からは犬の首輪までつけられたこともあった。
いつしかファンから呼ばれるようになった「犬」コール。
いつしか後藤と小原は犬軍団、はぐれ犬軍団、負け犬軍団と呼ばれるようになった。
「犬軍団」は短期間だったがムーブメントとなった。

1998年1月に平成維震軍に戻ると、後藤と小原は「STRAY DOGS(野良犬)」というタッグチームを結成し、黒と赤のロングタイツに黒サングラスと黒の革ジャンを羽織った。
だが、人気は下降線。

1999年2月に平成維震軍が解散されると、後藤と小原は捨て犬軍団と呼ばれ二人だけとなっていた。
リングを組み立てるために使うスパナを凶器に使い、前座戦線で連勝していく後藤と小原は、なんと1999年6月にIWGPタッグ王者となった。

狂犬隊と正式に命名されたコンビには、一時期は後援会が組織されたこともあった。
ちなみに狂犬隊後援会名誉会長は現・内閣総理大臣の安倍晋三氏である。

2000年2月に蝶野正洋が率いるTEAM2000のメンバーとなった後藤と小原は、トップレスラーの脇を固めるメンバーとして活躍する。
だが、元々柔道出身でガチンコ思考が強かった小原が2001年に総合格闘技に挑戦、2002年1月に新日本を退団した。
こうして後藤との「犬」コンビの歴史は一旦、幕を下ろした。

2001年11月3日のPRIDE東京ドーム大会。
小原はこの日、初めての総合格闘技戦に挑み、ヘンゾ・グレイシーに惜敗する。
この試合のセコンドにいたのが、当時青山学院大学レスリング部主将・中邑真輔だった。

小原のセコンドに付いていた中邑は大学時代から強さへの飽くなき追及をし続けた。
レスリングの大会以外にコンバット・レスリングやアマチュア修斗で経験を積んでいた。

2002年、中邑が新日本プロレスに入団する。
スーパー・ルーキーとして将来を嘱望されていた中邑は同年8月29日の安田忠夫戦で大健闘するも敗退すると、なんと次のシリーズには帯同せずに新日本LA道場で総合格闘技の修業を積むことになる。
同年12月31日の猪木祭りではダニエル・グレイジーを相手に総合格闘技戦に挑むも、腕十字で一本負けを喫する。

2003年1月4日は中邑はデビュー第二戦を行った。
対戦相手は魔界倶楽部の安田忠夫&村上和成。
パートナーはフリーとして新日本に戻ってきた小原だった。

年末に負った眉間の傷を攻められ、血だらけの中邑だったが、小原のサポートもありフロント・ネックロックで安田を絞め落とした。
中邑はなんとデビュー二戦で元IWGP王者を破るという快挙を果たした。
そして、この勝利をきっかけにパートナーの小原は後藤とヒロ斎藤を呼んで、クレイジー・ドッグスを結成したのである。

そして2月シリーズで中邑はこのクレイジー・ドッグスと共闘することになったのだ。
2月3日の札幌テイセンホール大会でテイセンホール杯6人タッグトーナメントが開催され、中邑は後藤とヒロ斎藤とのトリオでなんと優勝を果たしていたのだ。
ちなみに決勝戦の相手は髙山善廣&真壁伸也(現・刀義)&藤田ミノルだった。

中邑はクレイジー・ドッグスとの共闘についてこう振り返っている。

「なぜか俺、野良犬軍団(クレイジー・ドッグス)だったんですよ。俺が初めて入ったユニットですよ、渋いでしょ?(ニヤリ)」

「やりやすかったですよ。そういうかたたちはキャリアを積まれているんで、俺に対して変なジェラシーもなかったでしょうし、コッチも側にいて勉強になる部分もあったし。いい組み合わせだったと思います」
(中邑真輔自伝 KING OF STRONG STYLE 1980-2004/中邑真輔著 イースト・プレス)

その後、中邑はクレイジー・ドッグスから自然と離れていき、新日本正規軍のメンバーとなったり、外敵軍と共闘しながら同年12月9日に天山広吉を破り、史上最年少の23歳でのIWGPヘビー級王者となった。

一方のクレイジー・ドッグスは魔界倶楽部との抗争で一時期に脚光を浴びていたが、怪我による小原の戦線離脱により、やがてフェードアウトしていった。
小原が新日本を去り、後藤とヒロ斎藤が2006年1月に新日本を退団。
こうして伝説の犬軍団の歴史は完全に幕を下ろした。

2016年1月に新日本を離脱し、WWE入りすることになった中邑真輔。
キング・オブ・ストロングスタイルと呼ばれるまでに成長したベスト・イン・ザ・ワールドのレスラー人生の1ページには、職人レスラーが集った「犬軍団」との共闘という意外な物語があるのである。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • まあ、紐解いていけば誰でも色々出てきますよね。ライガーのCTUとか。そういう過去も込みで見れるからプロレスは楽しいと思います。

    ID:5984 [通報]
    (2016/2/25 14:59)
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  • 小原や後藤って今の新日にはいないタイプですよね。懐かしいなぁ。
    それにしても犬軍団に居たことを「渋いでしょ」というあたりはさすがプロレスオタク!

    ID:9644 [通報]
    (2016/2/25 22:36)
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  • ブロンドアウトローズやレイジングスタッフなど、今のレスラーと違いカッコつけていないところがいいですね。まさに職人の集まりでやりたいことやって帰る、みたいな。

    ID:609183 [通報]
    (2016/2/26 13:08)
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