2016/2/21 7:53

1992年5月大阪、時代を一気に変えるか? "天才"武藤敬司が満を持してIWGP王座初挑戦【ぼくらのプロレス物語】

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1992年5月大阪、時代を一気に変えるか? "天才"武藤敬司が満を持してIWGP王座初挑戦【ぼくらのプロレス物語】
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"天才"武藤敬司はグレート・ムタと素顔の武藤も含めて新日本プロレス最高峰のタイトル・IWGPヘビー級王座を実に4度戴冠している。

特に武藤がIWGP王座を防衛している期間中は試合内容も観客動員も成果を上げ、王者としても使命を見事に果たして見せた。

そんな武藤がIWGP王座に挑戦したのが1992年5月17日の大阪城ホール大会。
王者は当時の現場監督・長州力だった。
40歳の長州と29歳の武藤。
「俺達の時代」VS「闘魂三銃士」の世代闘争。

実は武藤は1990年4月の凱旋帰国以来、八面六臂の大活躍をしていたがなかなかIWGP王座挑戦のチャンスが巡ってこなかった。
この試合で初挑戦初戴冠を武藤なら狙えるのでは予想されていた。

時代を一気に変えるか? 武藤敬司。

そんなムードの中、挑戦者・武藤が入場してきた。
グレート・ムタが描かれたイラストのTシャツを着用し、武藤はお得意の耳に手を当てて歓声を聞くポーズや大車輪でのリングインなどで己の世界観を構築していく。
特別なタイトル戦でも武藤は自然体だった。

だが、試合では武藤の華のある攻撃が冴えわたるも、どうも武藤らしさが見えないという不思議な展開となる。
王者の長州は武藤の攻撃を受けつつも、存在感では武藤を上回っていた。
試合終盤、武藤のスペース・ローリング・エルボーを延髄ラリアットで撃墜。
そこからは長州の試合。
リキ・ラリアット連発で武藤をマットに沈めた。

試合後、長州はこのようなコメントを残した。

「武藤とムタも一緒!だから次はムタが挑戦してこい!」

武藤にとっては長州の"アク"を痛感した試合となった。
長州にとって、ムタなど武藤がペイントした姿に過ぎなかった。

だが、そこに長州の誤算があった。
三か月後の1992年8月の福岡大会でムタの挑戦を受けた長州はいいところなく、ムタの毒牙にかかり完敗し王座転落。
試合後にはなんと消火器をかけられる屈辱的な仕打ちを受けることになるのである。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • 懐かしいですね!
    92年は5月~8月までに5回もIWGP戦があって、
    ストーリーがスピーディーでした。

    今のプロレスにも反映してほしいです。

    ID:940498 [通報]
    (2016/10/21 5:01)
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