2016/2/20 12:15

1990年7月千葉、"エルボーの貴公子"三沢光晴の三冠初挑戦は緊急事態と共に…【ぼくらのプロレス物語】

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1990年7月千葉、"エルボーの貴公子"三沢光晴の三冠初挑戦は緊急事態と共に…【ぼくらのプロレス物語】
5.0

全日本プロレスの至宝であり、日本プロレス史の象徴ともいえる三冠ヘビー級王座。
1989年にジャンボ鶴田がPWF、インター、UNの三つの王座を統一して以来、時代を創った多くの王者達が誕生してきた。

今回紹介する"エルボーの貴公子"三沢光晴は1990年代のミスター三冠と言ってもいい。
1992年8月の王座し、実に五度もタイトルを戴冠。
またこれまでの歴代王者で最高の通算21回の防衛記録を2016年2月現在も保持している。

そんな三沢の三冠王座初挑戦は緊急事態を共に幕を開けた。

1990年7月27日、千葉・松戸市運動公園体育館。
当初は"人間魚雷"テリー・ゴディが保持する三冠王座に三沢が挑戦する予定だった。
だが、王者のゴディが試合当日の午前3時に東京・六本木のバーで心臓発作を起こし倒れ緊急入院することになったのだ。
一時は危篤状態という報道が流れるほど深刻な状態だった。
(後にゴディは意識を回復し、アメリカに帰国した)

三沢の対戦相手が宙を浮いた。
会社側が三沢の対戦相手に指名したのは前三冠王者スタン・ハンセンだった。
後に三冠王座を賭けて何度も激闘を繰り広げる三沢とハンセン、これがシングル初対決だった。

試合は三沢の意外な先制攻撃から始まった。
ゴングと同時にレフトハンド・ラリアットでハンセンを場外に吹っ飛ばした。
場外で三沢はなんとハンセンのトレードマークであるブルロープやイス攻撃でハンセンの左腕を痛めつける。
ハンセンと対戦する多くの選手達はハンセンのウエスタン・ラリアットを警戒して、左腕殺しを展開する。
三沢もその道を選んだ。

左腕へのギロチンドロップ、ストンピング、腕固めなどでハンセンの左腕を攻める。
だが、三冠初挑戦の三沢はプレッシャーが原因なのか、スタミナを消耗していた。
左腕殺し以外に三沢が成功した目立った攻撃はフロッグ・スプラッシュくらいだった。
あとはハンセンのペースで進んでいった。
最後は走りこんでのウエスタン・ラリアットでカウント3。

三沢は敗れた。
結果も内容も残すことが出来なかった。
試合後、三沢はこのようなコメントを残している。

「腕を攻めていても、なかなか攻めきれないから、逆にこっちが疲れちゃうんだよね。接近戦に持ち込んだのは失敗だった。この試合に向けて、ゴディ一本に絞っていたからね…。もうちょっと時間がほしかったよ」

三沢が三冠王座を奪取するのはそれから2年1か月後の1992年8月のこと。
対戦相手は奇しくもハンセンだった…。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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