2016/2/17 7:57

1993年9月日本武道館、6年ぶりに復活した名チーム"ビッグ・テキサンコンビ"スタン・ハンセン&テッド・デビアス 電光石火!疾風怒濤の世界タッグ王座戴冠劇【ぼくらのプロレス物語】

閲覧数:10910

1993年9月日本武道館、6年ぶりに復活した名チーム"ビッグ・テキサンコンビ"スタン・ハンセン&テッド・デビアス 電光石火!疾風怒濤の世界タッグ王座戴冠劇【ぼくらのプロレス物語】
5.0
最新のコメントに移動

"不沈艦"スタン・ハンセンといえば、数々のタッグチームを生み出したタッグの名手である。

"超獣"ブルーザー・ブロディとのミラクル・パワー・コンビ。
"超人"ハルク・ホーガンとの1980年代新日本外国人最強コンビ。
"狂犬"ディック・マードックとのテキサス・ロングホーンズ。
"人間魚雷"テリー・ゴディとのニュー・ミラクル・パワー・コンビ。
"風雲昇り龍"天龍源一郎との龍艦砲。
"世界の巨人"ジャイアント馬場との巨艦砲。
"皇帝戦士"ベイダーとの不沈皇帝コンビ。

MSGタッグリーグ戦や世界最強タッグリーグ戦といった格好の舞台で大暴れしていったハンセンが絡んだタッグチーム。

その中でハンセンのベストパートナーと言えるのが、"鋼鉄男二世"テッド・デビアスだった。二人のコンビは「ビッグ・テキサン・コンビ」と呼ばれた。
二人はウエスト・テキサス大学の先輩後輩という間柄で、ハンセンがわがまま放題に暴れる親分、デビアスが試合をコントロールする子分と役割も分担されていた。
デビアスはハンセンが闘いやすいような試合をクリエイトしていくことで、ハンセンは暴れることに専念できた。
またデビアスはパワースラムという得意技もあり、ハンセンとのコンビではフィニッシュになることもあった。
またサイド・スープレックス、フィストドロップ、足四の字固めなど技も多彩である。

1985年、当時ハンセンとコンビを組んでいたブロディが新日本に移籍する。
ハンセンがパートナーに指名したのが"ファンク一家"のデビアスだった。
同年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝を収めた。
試合後ハンセンはマイクでこう叫んだ。

「テッド・デビアス・イズ・ナンバーワン!」

それは親分ハンセンによる子分デビアスへの最高の褒め言葉であり、感謝の気持ちだった。

1987年、デビアスがWWE(当時WWF)に移籍したことにより、ビッグ・テキサン・コンビは自然解消する。
デビアスはWWEでミリオンダラーマンという傲慢な金持ちキャラクターが大うけ、トップヒールにまで上り詰めた。

一方のハンセンはゴディ、天龍とパートナーを変えながらも世界最強タッグ決定リーグ戦制覇を成し遂げるものの、コンビは短期間で消滅していった。
1990年4月、天龍が全日本を離脱すると、同年3月に天龍と仲間割れしていたハンセンの新パートナーとなったのが"金髪の荒鷲"ダニー・スパイビー。
しかし、ハンセンのパートナーという役割はスパイビーには荷が重かったのかもしれない。
スパイビーとのコンビでは一度は世界タッグ王座を奪取するものの、短期間で王座陥落している。
スパイビーとのコンビに行き詰まると、ハンセンは"暴走狼"ジョニー・エースをパートナーに指名する。
エースとのコンビは結果や試合内容も残すことができず、コンビネーションはあまりよくなかった。

1990年前半のハンセンは全日本最強の男。
同世代のジャンボ鶴田、次世代の三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)、外国人ライバルのテリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムスといった強豪相手に、チャンピオン・カーニバルを二連覇するほどの強さを誇っていた。
シングルでは最強、だがタッグでは苦汁をなめるという日々が数年続いていた。

そんな中で1993年9月3日の日本武道館大会。
当時の世界タッグ王者・川田利明&田上明の聖鬼軍の三度目の防衛戦が組まれることになった。
対戦相手はスタン・ハンセン&X。
Xは誰なのか、憶測を呼ぶ中で後日、意外な名前が発表された。

WWEでスーパースターになったテッド・デビアスだった。
実はデビアスは1993年6月にWWEを離脱したばかり。
ハンセンの援護に最高の相方が名乗りを上げた。
ビッグ・テキサン・コンビ 6年ぶりの復活である。

デビアスはWWE時代の金ピカのスーツから、ハンセンと同じく黒のウエスタン・スタイルで姿を現し、ハンセンと共にリングに一直線に走って入場してきた。
期待感は大いに高まる。

ハンセン&デビアスは試合序盤から中盤にかけて二度の合体技の連携ミスを起こしてしまう。
一度目はダブルのショルダータックルのタイミングが合わなかったこと。
二度目はハイジャック・パイルドライバーの体勢時のこと、足を持つデビアスとパイルドライバーを決めるハンセンの波長が合わずに、ずれて決まったこと。

だが、この二度の目立った連携ミスがハンセン&デビアスに火をつけた。
ハンセンを攻め込み、フィニッシュを狙う川田&田上をデビアスがカットし、川田をバックドロップを決める。そしてハンセンも田上にバックドロップを決める。
合体攻撃だけが、タッグの連携ではない。

そして、デビアスが川田と田上に決めたのが得意のパワースラム。
その威力は全く錆びついていなかった。

最後はデビアスのアトミック・ドロップからハンセンのウエスタン・ラリアットが田上に爆発し、勝利を収めた。
ビッグ・テキサンコンビは復活第一戦で、世界タッグ王座を奪取して見せた。
見事な連携、見事な試合内容。
コンビ結成当初は30代だった二人のビッグガイは、40代となり、円熟味を増して復活を果たしたのだ。

試合後、ハンセンはリング外にいる川田にもダメ押しのウエスタン・ラリアットを決めた。
1万6000人の観衆とハンセンとデビアスは「ウィー!」を決めた。
二人は肩を組んでリングを下りて行った。

試合時間は13分12秒。
当時の全日本のタイトルマッチでは異例の短さ。
まさしく電光石火!疾風怒濤の世界タッグ戴冠劇。
ビッグ・テキサンコンビは「永久に世界タッグ王座を防衛する」と宣言した。

その後、ハンセン&デビアスは川田&田上とのリターンマッチにも勝利。
年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にエントリーしたが、デビアスが古傷の首が悪化し、欠場することになり、ハンセンのパートナーはジャイアント馬場が務めることになった。

ちなみにデビアスはこの欠場をきっかけにしてプロレスラーを引退、WWEやWCWでマネージャーに転身した。

もしかしたらビッグ・テキサン・コンビの復活とはプロレスラーとしてのテッド・デビアス最後の大仕事であり、奉公だったのかもしれない。

ビッグ・テキサン・コンビは20世紀を代表する偉大なるタッグチームである。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

最新のコメントに移動
  • 2度目のハンセン・デビアス組で印象に残っているのが、試合終盤デビアスがダウン気味の相手を捕まえ、自らの左腕を高く掲げ不敵な笑みを浮かべながらハンセンに視線を送る─ そうウェスタンラリアット敢行の合図を送るシーンです。
    『スタン、決めようゼ』こんな感じで。

    デビアスは、ブロディ以降久しくパートナーに恵まれなかったハンセンに、ようやく現れたイーブンな関係のパートナーでした。
    ハンセンのベストパートナーを問われると、殆どの人が「ブロディ」と答えるでしょう。僕もそう思います。ただ、ハンセンにラリアットの合図を出すあの瞬間だけは、
    “ハンセンのベストパートナーは「テッド・デビアス」”。
    今でもそう思います。

    ID:432372 [通報]
    (2016/2/17 13:44)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • テッドデビアス&ハンセンコンビ大好きでした!
    デビアスのインサイドワーク、当時はパワースラムも新鮮な技だっとと記憶してます。

    ID:214619 [通報]
    (2016/2/18 1:02)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • でも晩年のハンセンはインタビューでベストパートナーは誰か?て聞いたらブロディを抜きにするならテリー・ゴディって答えてた。
    デビアスは?て尋ねたら彼をベストと思ったことは一度もないんだって。
    観る側の思いと本人の思いは別なんだなあって思った。

    ID:2652 [通報]
    (2016/2/22 13:06)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

 全日本プロレス  スタン・ハンセン  テッド・デビアス  世界タッグ王座  ビッグ・テキサンコンビ
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る