2016/2/16 8:09

1994年9月の蝶野正洋~白き極上バタフライから黒き極悪バタフライへ! 衝撃の武闘派転向~【ぼくらのプロレス物語】

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1994年9月の蝶野正洋~白き極上バタフライから黒き極悪バタフライへ! 衝撃の武闘派転向~【ぼくらのプロレス物語】
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1994年8月、新日本最強を決めるリーグ戦「G1CLIMAX」を制し、三度目のG1制覇を果たした蝶野正洋は試合後にこう叫んだ。

「おい、よく聞いておけ!俺がG1男の蝶野だ!よく覚えておけよ、オラ!」

場内は大歓声が起こった。
だが、次の瞬間、蝶野は謎の行動に出る。

なんとファンに向かって二度も中指を突き立てたのである。
そして記念撮影後、優勝賞金の大型小切手を投げつけ、リングを去っていったのである。

これは何を意味しているのか?

当時の蝶野は新日本選手会長として正規軍の中心メンバーの一人だった。コスチュームは白のスパッツで、クラシックなレスリングスタイルを信条とする極上バタフライ。

蝶野のこの行動は「武闘派宣言」と呼ばれ、単なるヒール転向ではなく、新日本に一人で喧嘩を売るという意味で武闘派転向と形容された。

武闘派転向の動機について蝶野は後年、こう振り返っている。

「当時俺、選手会長をやっていたから。会社と選手のパイプ役っていう立場だったから、どうしても自分を殺さなきゃいけないっていうかね。(中略)G1で三度目の優勝って結果を出せたことで、一区切りがついたっていうか『もうここで動くしかない』と思ってね。(中略)でも自分のなかでの方向性っていうのは見えてなかった。とにかく今の状態のままで続けたくないっていうことだけでね」
(列闘生 傷だらけの履歴書 武藤敬司 蝶野正洋 橋本真也 著 幻冬舎)

蝶野は8月のG1後の島巡りの巡業を全休し、9月の「G1 CLIMAX SPECIAL」に挑んだ。G1覇者・蝶野に組まれたカードはほぼシングルマッチだった。

実はこのシリーズのカード編成は波紋を呼んだ。
G1覇者・蝶野は最終戦で橋本真也が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦することが決定していた。だが、その前の横浜大会で8月のG1で橋本と引き分けたパワー・ウォリアー(佐々木健介)が挑戦することが決まり、もしパワーが橋本に勝利した場合は最終戦の蝶野VS橋本はノンタイトルのシングルマッチとなるというものだった。

納得いかないのは蝶野。
9月17日の後楽園大会のトークショーに登場した蝶野は、「何故俺より先にパワーが挑戦するんだ!おかしいじゃないか!」と批判。さらに当時、新日本の選手達はオフシーズンは講演会やテレビや映画出演などのタレント活動をしていたことも言及したことによって、ファンは蝶野を支持した。

9月19日の石川大会で、武闘派に転向した蝶野はメインイベントに登場した。
G1制覇以後、初の試合である。
対戦相手は金沢の英雄・馳浩。

この馳が対戦相手になったことは大きな意味があった。
馳はあのグレート・ムタと二度にわたる死闘によって、ムタの悪の潜在能力を開放させ、極悪レスラーであるタイガー・ジェット・シンとの巌流島の決闘を制した経験を持つ男。
ヒールレスラーの扱いは一級品のマエストロ。

蝶野はこの試合からテーマ曲を変えた。
後にプロレス界の名テーマ曲となった「CLASH」が場内に鳴り響く中で、蝶野は姿を現した。黒に統一されたロングコート、リストバンド、ブーツという黒の殺し屋スタイルで登場。
実は当時のコスチュームは愛妻のマルティナ夫人お手製のものだったという。

場内に黒の蝶野が現れると、緊張感が倍増していく。

「何かが起こるかもしれない…」

試合は大いに荒れた。
蝶野と馳による本部席の机の奪い合いの果てに、馳の頭部がザックリ切れた。
さらに蝶野はイス攻撃で追い打ちし、馳を大流血に追い込んだ。
馳は中盤に反撃するものの、蝶野の鋭利なエルボー、ヤクザ・キック、急所蹴りが見事に決まり、最後はSTFで馳を沈めた。
試合後、STFを離さない蝶野に大ブーイングが起こる。
そこに、素顔のパワーが現れた。

「蝶野、俺は橋本に勝て、大阪でお前とやってやるぞ!」

さらにIWGP王者の橋本がリングに上がった。
蝶野は橋本とパワーに宣戦布告する。

「おい、ヘボチャンピオン、三分で倒してやるぞ!三分で!パワーは五分持たないぞ!」

そして、二人のマイクをきちんと聴いた上で橋本はマイクで叫んだ。

「蝶野、パワー、俺がIWGPだ!」

武闘派・蝶野の初陣は大きな衝撃を残した。
極上バタフライはイメージカラーの白を捨て、黒き極悪バタフライに変貌を遂げたのだった。

だが、9月23日の横浜大会で"悪の化身"グレート・ムタと対戦した蝶野は試合ではなんとか勝利したものの、内容でムタに圧倒されるという屈辱を味わった。

この日に橋本とパワーのIWGP戦が組まれていたが、試合は凡戦に終わり、橋本が勝利する。実は前日の仙台大会で試合前のパワーを蝶野が襲撃し、ゴングで徹底的に右肩を痛めつけ、負傷させたのだ。この負傷が原因で、試合はスイングしなかったのだ。

9月27日の大阪大会で橋本と蝶野のIWGP戦。
G1覇者・蝶野は、橋本を血祭りにあげ、さらにスリーパー気味のSTFでロープブレイク関係なしに絞め上げ、橋本のスタミナを奪いに行く。
だが、王者・橋本は蝶野のラフファイトを耐え抜き、蝶野のスクールボーイを切り返しての裏十字固めでギブアップ勝ちを果たした。
G1覇者はシリーズの最後まで、蛇行運転しながらその狂気を貫いた。

蝶野は後年、こう語っている。

「俺の中で方向性が定まってなかったし、とりあえず、その場その場でやりたいことをやっていたっていうか…。結局、心の中にあった怒りっていうものをリングにぶつけた結果が、ラフファイトみたいな形になって出たわけです。その怒りは何かというと、選手会長をやってて、レスラー全員に『もう、いい加減にしてくれ!』っていうのがあったんですよ。(中略)それともうひとつは会社への不満ですよ」
(列闘生 傷だらけの履歴書 武藤敬司 蝶野正洋 橋本真也 著 幻冬舎)

このシリーズを総括した週刊プロレス増刊号の表紙コピーにはこう書かれていた。

「狂った蝶野に明日はみえたか!?」

この時は、道なき道をやりたいようにやるアティチュードで進んでいた蝶野だったが、後にこの路線で大成功を収め、黒のカリスマと呼ばれるプロレス界のスーパースターとなった。

あの黒のカリスマの原点は1994年9月の武闘派転向にあるのだ。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • 蝶野選手のテーマソングといえば、白時代の『FANTASTIC CITY』と、黒くなってからの『CLASH 』でどちらも名曲です。
    しかしこの2曲の間に、一瞬だけ使用した幻のテーマソングがあったような・・・
    たぶん蝶野選手は使ってみて「コレジャナイ」と感じたのでしょう。その後すぐ CLASH に変え、そのまま今に至ります。
    その幻のテーマソングのメロディはいまだに耳に残っています。ちょっとタンゴちっくだったそれを聴いて、僕も「コレジャナイ」と思いましたから。
    ただ、この一連の動きに「あぁ蝶野選手自身、方向性が定まってないんだなぁ」とリアリティーを感じたのも事実で、それがとても印象に残っています。

    ID:432372 [通報]
    (2016/2/16 9:29)
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  • ヒール蝶野の誕生というと思い出されるのが反選手会同盟結成のきっかけとなったvs越中戦です。
    後にも先にもあれほど蝶野が憎たらしいと思った試合はなかったですね

    ID:343636 [通報]
    (2016/2/17 4:11)
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  • ↑この試合後に長州と武藤&蝶野が控室で激しい口論になって蝶野が涙してましたね!

    ID:940498 [通報]
    (2017/2/16 9:54)
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    ID:7424258 [通報]
    (2018/6/11 12:16)
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