2016/2/14 11:16

"ヨーロッパ最大手団体CWAのエース"ムッシュ・ランボーは円盤投げの選手だった【ぼくらのプロレス物語】

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"ヨーロッパ最大手団体CWAのエース"ムッシュ・ランボーは円盤投げの選手だった【ぼくらのプロレス物語】
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1990年代の新日本プロレスでは外国人四天王ともいうべき四人の怪物レスラーがトップ戦線に名を連ねていた。

"皇帝戦士"ビッグバン・ベイダー(195cm 185kg)
"恐怖の入れ墨獣"クラッシャー・バンバン・ビガロ(191cm 170kg)
"超竜"スコット・ノートン(190cm 160kg)
"殺戮バイキング"トニー・ホーム(193cm 140kg)

そして、この外国人四天王に次ぐ第五の男として、新日本プロレスの常連外国人レスラーとして来日していたのがムッシュ・ランボー(195cm 130kg)だった。

カナダ・モントリオール出身のフランス系カナディアンのランボーは元々は円盤投げの選手で五輪代表候補になったといわれている。

1982年にプロレス転向を果たすと、マスクマンに変身し修業を積むと、1980年代後半になるとヨーロッパを主戦場にしていく。

当時のヨーロッパのプロレス界にはオットー・ワンツ率いるCWAというプロレス団体があった。CWAはキャッチと呼ばれるラウンド制のプロレス団体で、ヨーロッパ各地、アメリカやカナダのレスラーも参戦していた。また新日本プロレスと業務提携をし、日本の若手選手の武者修行の地としてCWAで経験を積ませた。この地でランボーというリングネームとなった彼は、大型ベビーフェースとして活躍する。1991年には現地でブル・パワーと名乗っていたベイダーを破り、CWA世界ヘビー級王座を獲得する。

その後、ランボーはアメリカからの刺客相手に次々と防衛戦を行い、CWAのエースとして活躍していく。

1991年1月に「ムッシュ・ランボー」の名で新日本プロレスに参戦すると、常連外国人として度々来日する。
得意技はサイドバスター、ベンジュラム・バックブリーカー、フライング・バックエルボー。

だが、そのプロレスはよくも悪くも粗削りそのもので、とてもプロレスが上手いレスラーとは見えなかった。

その後、ランボーはWWE(当時WWF)入りし、南アフリカの治安部隊というキャラクターになり、タッグ戦線で活動するも、なかなかブレイクできなかった。

1998年にWWEを退団したランボーは再びCWAに戻り、世界王者に輝いた。
そして、1999年12月のCWA崩壊まで、彼は王者であり続けた。

CWAというプロレス団体はオットー・ワンツのワンマン体制だった。
そのCWAで自身の後継者として選ばれたのはランボーだけである。

ムッシュ・ランボーのレスラー人生はヨーロッパの風に包まれている。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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