2016/2/11 7:51

1994年秋、"哀愁のマスクマン"スーパー・ストロング・マシンが平田淳嗣に戻った日【ぼくらのプロレス物語】

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1994年秋、"哀愁のマスクマン"スーパー・ストロング・マシンが平田淳嗣に戻った日【ぼくらのプロレス物語】
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スーパー・ストロング・マシンは新日本プロレスが生み出した哀愁のマスクマンだ。

1984年にマスクマンに変身したマシンは実力は折り紙つき、恵まれた肉体とタフネス、確かなプロレステクニックを持ちながら、なかなか彼はトップスターになることはなく、ブロンド・アウトローズ(レイジング・スタッフ)という軍団の親分にもなりながら、なかなかトップ戦線には食い込めなかった。

雌伏の日々は10年続いていた。

IWGPヘビー級王座は遂には後輩レスラーである橋本真也や武藤敬司(グレート・ムタ)が獲得し、マシンは後輩の後塵を拝してきた。

そんなマシンに転機が訪れたのが1994年10月に開催された「SGタッグリーグ戦」。当時、ヒールに転向しパートナーが不在だった"極悪バタフライ"蝶野正洋のパートナーに名乗りを上げたのがマシンだった。新日本もマシンの要望を後押しした。

だが、肝心の蝶野はマシンと組む気はさらさらなかった。
会社のひいたレールに乗るのも嫌だった。
それでもマシンは蝶野にこう嘆願する。

「蝶野選手にお願いしてでも、俺と組んでほしい」

マシンにとって蝶野は6年後輩、それでもお願いするマシンに根負けしたのか、蝶野はマシンと組んでSGタッグリーグ戦に出場する。

だが、蝶野とマシンのコンビネーションは最悪。
味方のピンチにカットにも入らない蝶野。
遂にはある公式戦では試合中盤に控室に帰り、マシンを見殺しにしてしまう。

それでもマシンは蝶野とのコンビで優勝するために、蝶野の仕打ちを耐えた。
優勝候補の武藤敬司&馳浩を破り、最終戦では当時IWGPタッグ王者のヘルレイザーズ(ホーク&パワー)を破り、優勝戦進出する。

ヘルレイザーズを破ったのはマシン。
パワーをライガーボム(シットダウン・パワーボム)で破ってみせた。蝶野はホークを場外でSTFでカットしていた。
だが、どういう訳か試合後、蝶野はマシンに暴行を働く。
理由は虫の居所が悪かったか、何なのかはわからないが、とにかく当時の蝶野は傍若無人だった。そして、さりげなく蝶野はマシンのマスクを剥がそうとしていた。これが後の伏線となったのかもしれない…。

1994年のSGタッグリーグ戦優勝決定戦は蝶野&マシンは武藤&馳と対戦する。
武藤&馳は1990年代の新日本タッグ戦線を代表するタッグチーム。
前年度(1993年)優勝を果たし、IWGPタッグ王座を2度戴冠している。
武藤&馳には試合内容において新日本タッグ戦線のクオリティーを向上させてきたプライドがあった。
だが、対戦相手はタッグリーグ戦を壊そうとしている男達。
それでも武藤と馳はプロとして試合を成立させようとした。

試合は入場シーンから異変が起こる。
蝶野&マシンが入場する時、マシンの姿がなかったのだ。
リング上には蝶野一人で、彼のテーマ曲「クラッシュ」が延々と鳴り響く。

そして、音楽が止んだ中でマシンが入場テーマ曲がかかっていないなかで現れた。
会場のファンから「マシン」コールが起こる。
恐らく、マシンにファンは同情していたのかもしれない。

試合はやはりギクシャクしたものになった。
蝶野とマシンは互いにタッチしないため、ローンバトルが続いた。
また、蝶野はカットに入ろうとするマシンに唾を吐きかけて、阻止するというハプニングも。

「これではタッグリーグ戦はぶち壊しだ…」

だが、マシンはそれでも優勝を狙っていた。
元々は自分のリクエストで組んでもらったチームだ。
全ては自分が耐え忍べば済む話だと考えていたのかもしれない。

試合終盤、蝶野はなんとマシンにヤクザ・キック(ケンカ・キック)を見舞う。
場内は大ブーイング。
それでもマシンは蝶野のピンチに駆けつけ、タッチを求めた。
ここまで来ると誰でもマシンに感情輸入してしまう。

蝶野からタッチを受けたマシンは武藤と馳を相手に猛攻。
綺麗なジャーマン・スープレックスホールド、ラリアットで追い込む。
マシンはなんと蝶野の得意技のSTFをかける。
そこでカットに入ったのはなんと蝶野!

「俺の技を使うな!」

ここまでくると蝶野は意固地になってマシンに当たっているとしか見えない。
遂にマシンの怒りが爆発し、蝶野にラリアットを見舞う。
場内は大歓声が沸き起こった。

蝶野とマシンは互いに胸を付き合い、空中分解。
そして、マシンは自らマスクを剥いで、蝶野に叩きつけた。

マシンの素顔・平田淳嗣(若手時代は平田淳二)が姿を現れた。
あの格闘王・前田日明と同期で、前座戦線で名勝負を繰り広げたあの平田だ。
藤波辰爾に「お前、平田だろ!」と正体をバラされても、マスクマンであり続けた平田がマスクを脱いだのだ。

場内は大「平田」コールの雨、霰!!
こんな茶番には付き合ってられないと言わんばかりに蝶野は控室に戻っていき、平田は孤立無援。

そんな平田を武藤と馳は集中攻撃。
馳の裏投げ→武藤のムーンサルト・プレスという黄金連携で勝利。
武藤&馳は二連覇を果たした。
だが、二人に笑顔はなかった。

ボロボロになった平田はマイクを握って叫んだ。

「みなさん、こんなショッパイ試合をしてすいません!」

それは笑いのネタではなく、タッグリーグ戦の優勝と試合内容を最後まで残そうとしていた男の悲しい叫びだった…。

平田は馳と武藤と抱き合い、新日本隊のメンバーとなった。

そして、最後に馳はマイクで蝶野にこう語りかけた。

「蝶野!今日を一生懸命生きようとしないで、どうして明日があるんだ!」

タッグリーグ戦を盛り上げることに全精力を傾けていた武藤&馳。
後輩に頭を下げてもタッグリーグ戦に出場し、蝶野から理不尽な仕打ちを受けようが、成果を上げようとしたマシン。
社命に対する反発心とマシンとのタッグの意義に疑問を持ちながらも、己のヒール像を貫こうとした蝶野。

四者四様の人間交差点がそこにあった。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • 数年前の週刊プロレスにて、スーパーストロングマシンの特集が組まれ、その中で蝶野選手の視点から “蝶野・平田組” について語られたページがありました。その中で彼は、当時の自分はキャラを変え勝負に出ており、また会社や周りへ大きな不満を抱え余裕が無かったことが仲間割れの原因だった、と述懐していました。そして最後に、平田さんとのタッグは自分に組む器量さえあれば魅力的なものになったはずですよね─ と、ほろ苦い後悔と反省の気持ちで締められていました。
    当時、僕はリアルタイムでこの仲間割れを観ましたが、「面白かったけど、仲間割れとかそこに到るまでの蝶野選手の行動ってプロとしてどうなの?」というモヤモヤした気持ちがずっと消えませんでした。しかし蝶野選手のこの最後の言葉を聞いて、モヤモヤがすーっと消え去り、あの仲間割れ劇が自分のプロレスの思い出の中の一場面へと昇華したのを覚えています。

    ID:432372 [通報]
    (2016/2/12 13:29)
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  • G1優勝しても地味で橋本や武藤ムタに比べるとブレイクしきれなかった当時の蝶野。同じく実力はありながらもどこか地味で中堅止まりのマシン。お互い悩みながらなタッグチームは上手くいきませんでしたか、お互いの感情が出ていた試合だったと思います。

    ID:480137 [通報]
    (2016/2/14 9:29)
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  • この間蝶野の池袋のイベントは待ちを見かけたたがスルーしました、なぜなら私は今でも蝶野が好きではありませんが切っけはこの時期テレビで彼のストロングマシーンの態度を今でも覚えているからです。

    ID:3177295 [通報]
    (2017/3/7 22:43)
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