2016/2/6 8:11

"ブロディになろうとした男"ビッグ・ジョン・ノードが歩んだレスラー人生【ぼくらのプロレス】

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"ブロディになろうとした男"ビッグ・ジョン・ノードが歩んだレスラー人生【ぼくらのプロレス】
4.3

"超獣"ブルーザー・ブロディは20世紀プロレス界に現れたカリスマだった。

そんなブロディをオマージュしたレスラーはブロディの存命中、死後に関わらずに次々と登場した。

今回紹介するビッグ・ジョン・ノードはブロディのような怪物になることをレスラー人生を捧げた男だった。

元々はロード・ウォリアーズやリック・ルードを育てたエディ・シャーキーのコーチを受けて1984年にプロレスデビューしたノード。
実はアマレス全米選手権4位、元NFLプレイヤーという輝かしい経歴の持ち主。

1986年にノード・ザ・バーバリアンを名乗り、コスチュームも髪型も真似たブロディのオマージュレスラーとなった。

一部では「ブロディのクローン」と呼ばれていたノードは1991年にWWE(当時WWF)入りしたノードはザ・バーザーカーにリングネームとなり、北欧バイキング・キャラクターとなり、さらにブロディの物まねはエスカレートしていった。
ブロディ・シャウトとラフファイトを売りにしていたが、次第に活躍の場が少なくなり1993年にWWEを退団した。

1994年1月、ノードはビッグ・ジョン・ノードというリングネームで全日本プロレスに参戦する。ノードは常連外国人レスラーになるためにこのリングに懸けた。

”超獣”ならぬ"聖獣"という異名もついた。

だがノードのブロディの真似の域を出ないそのスタイルは日本ではやや受け入れられなかった。
1994年3月、日本武道館で組まれた"殺人医師"スティーブ・ウィリアムスとのシングルマッチでもなかなか受け入れられずに凡戦の末、敗北。
同年のチャンピオン・カーニバルでも目立った活躍はできずに、全日本に二度と呼ばれることはなかった。

その後、1997年にWCWで本名のジョン・ノードで参戦するも、トップレスラーのやられ役に過ぎなかった。

2005年までアメリカ・インディー団体に参戦していたノードは家族が経営している自動車会社で働いているという。

彼がブロディのオマージュというレスラー人生を歩んだのかは分からない部分もあるが、プロレス入り前の実績は輝かしくブロディにならなくても活動いけたのかもしれない。

それでも彼はブロディになろうとした。
コピーが本物を越えることなど基本的にない。
残念ながら、ノード自身にオリジナルの商品価値を生み出せるクオリティーがなかったのかもしれない。

ビッグ・ジョン・ノードのレスラー人生を振り返ると、トップレスラーが誕生する背景には、その何十倍も多くの成功できなかったプロレスラー達がいるという事実が付きつけられたような気がした。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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