2016/1/31 20:27

1991年秋、好漢・小橋健太に訪れた晴れ舞台【ぼくらのプロレス物語】

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1991年秋、好漢・小橋健太に訪れた晴れ舞台【ぼくらのプロレス物語】
4.5

1991年9月4日、全日本プロレス・日本武道館大会。

この日のセミファイナルで組まれたのは当時キャリア3年、24歳の小橋健太(現・建太)VS全日本最強外国人レスラーのスタン・ハンセンの一騎打ち。

これは異例の抜擢だったといっていい。
小橋は新人時代から努力と鍛錬、恵まれた肉体でトップ選手との対戦が多かった。

1990年に三沢光晴が結成した超世代軍入りすると、小橋の向上心はますます上昇していく。

小橋はスタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス、ダニー・スパイビーといった怪物外国人達との対戦で、彼らを怒らせ、ボコボコにされることで成長を遂げていった。

中でもスタン・ハンセンの小橋に対する攻めは尋常ではなかった。
テーブルで腰や首へ投げつけたり、鉄柵に向かってのボディースラム、恨みがあるのかと疑いたくなるようなパンチやキック、時には執拗なまでの逆エビ固めでギブアップを奪ったこともあった。

それでも小橋はハンセンに立ち向かっていった。
全日本プロレスはこの小橋とハンセンにビッグマッチのセミファイナルを託すことにした。

若武者・小橋にとってはこれは晴れ舞台。

小橋のテーマ曲「SNIPER」がかかると場内は大・小橋コールに包まれる。
その中を小橋はやや小走りながら入場してきた。

ハンセンはいつものように全速力でブルロープを振り回し、走りながらの入場。

しかし、試合は予想外の展開から幕を開ける。
なんと、小橋へのレフェリーチェック中のハンセンのウエスタン・ラリアットが爆発する。
ハンセン、突然の奇襲に場内は騒然、小橋は大の字になる。

小橋は意識が朦朧としながらファイトを続けるが、ハンセンの猛攻は続く。
なんと場外に転落した小橋にマットが惹いていない場所へのパワーボム。
あまりの非情ぶりに実況の若林健治アナはこう叫んだ!

「嘘だ!」

だが、解説の竹内宏介氏はこう語る。

「小橋の著しい成長がハンセンに焦りを生んで、この攻撃に繋がっている」

小橋は驚異のタフネスぶりを発揮し、中盤から反撃に転じる。
得意のムーンサルト・プレスも決まるもカウント2。

終盤にはスリーパーホールドで締め上げてハンセンを追い込んだ。
バックドロップで投げられても、場外にエスケープしようとも、小橋はスリーパーでハンセンを締め続けた。
だが、ここに罠が待っていた。
なんと、場外にいるハンセンに突っ込んいった小橋にこの日、二発目のウエスタン・ラリアットが炸裂したのだ。

リングに戻るハンセン、場外に取り残された小橋。
場外カウントが続く。

若林アナは叫ぶ。

「リング内に(小橋を)上げてやりたい!」

小橋は何とかリング内に戻るも、なんとハンセンの三発目のウエスタン・ラリアットが爆発し、小橋はカウント3を喫した。

小橋にとって代償が大きい晴れ舞台となってしまった。

だが、この試合を振り返るとある事実が判明する。

長年、ハンセンはウエスタン・ラリアットを一撃必殺の得意技として使用していた。
だが、一つのシングルマッチで伝家の宝刀を三発も多用したのは個人的な記憶では坂口征二戦と小橋戦以外ないのである。

もちろん小橋戦以後、ハンセンは2000年の引退するその日までシングルマッチで三度もラリアットを放つことはなかった。

その後もハンセンは小橋に対しては特別なウエスタン・ラリアットを爆発させていた。
時には小橋のダイビング・ショルダータックルをウエスタン・ラリアットで撃墜。
またある時はムーンサルト・プレスを狙う小橋をハンセンが阻止し、コーナーに座っている小橋になんと、雪崩式ウエスタン・ラリアットを見舞ったこともあった。
一部マスコミではこんな声が上がった。

「ハンセンは小橋には普通のラリアットでは倒せないんじゃないのか…」

1991年秋に訪れた小橋健太の晴れ舞台はプロレス史において実は大きな意味を持っていたのかもしれない。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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