2015/8/20 10:01

誰が考えたかわからないけど最高のシステム、東京ドームIWGPヘビー級王座挑戦権利証は誰が考えたのか?

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誰が考えたかわからないけど最高のシステム、東京ドームIWGPヘビー級王座挑戦権利証は誰が考えたのか?
3.3

極みの夏と銘打たれた、新日本プロレスG1クライマックス25。

棚橋弘至選手が8年ぶり2度目の優勝を遂げ、2016年1月4日東京ドームで行なわれるIWGPヘビー級王座戦への挑戦権利証を手にしました。


長らく優勝から遠ざかっていた棚橋選手が、この挑戦権利証を手にするのは初めてのこと。

2013年、2015年と挑戦を受ける立場であった棚橋選手にっとて、常にズルイと感じていたシステムも、手にしてみると、誰が考えたのかわかんないけど最高のシステムへと早変わり。


改めて、挑戦権利証を守り抜くことを誓いました。


しかし、2015年のG1クライマックスでは事前に挑戦権利証システムの授与が明らかにされておらず、優勝するまであるのかないのか分からない状態が続いていました。


また、ここ1年以内にプロレスを見始めた方の中には、挑戦権利証システムを知らないファンもいらっしゃるのではないでしょうか?


棚橋選手曰く「誰が考えたのかわかんない挑戦権利証システム」。


いったい、誰が考え、いつから使われてきたのでしょうか?


挑戦権利証、最高のシステムを考えたのは誰?


2012年、海外遠征から帰国し、レインメーカーとなったオカダ・カズチカ選手が、初出場にしてG1クライマックスを制覇。

優勝インタビューの場で、マネージャーの外道選手は、IWGPヘビー級のベルトをオカダ選手の所有物と主張し、新日本プロレス最大のビッグイベントである、東京ドーム大会のメインイベントで、返してもらうことを要求しました。


新日本プロレスの菅林社長(当時)は外道選手の要求を受け、オカダ選手の東京ドーム大会でのIWGPヘビー級王座挑戦を承諾。しかし、IWGPヘビー級王者が防衛戦を行なうのと同様、「挑戦権の防衛を年末まで果たすことができたなら」という条件を付け加えたのです。


つまり、挑戦権利証を考えたのは菅林社長(当時)、最初に行使したのはオカダ選手なのです。


過去3回行なわれた挑戦権利証システム


2012年から始まった挑戦権利証システムは、過去3回行使されてきました。


それぞれ、開催された防衛戦は下記の通りです。


2012年、権利者:オカダ・カズチカ選手
カール・アンダーソン選手、後藤洋央紀から防衛成功
2013年、権利者:内藤哲也選手
田中将人選手、高橋裕次郎選手、田中将人選手から防衛成功
2014年、権利者:オカダ・カズチカ選手
カール・アンダーソン選手、内藤哲也選手から防衛成功

御覧の通り、挑戦権利証を手にした選手は全て、東京ドーム大会でIWGPヘビー級王座に挑戦を果たしています。

そしていずれも、東京ドーム大会での王座奪取に失敗しているのです。


2015年、G1クライマックスを制覇した棚橋弘至選手は、無事に権利証を防衛し、2015年東京ドームのメインイベントの舞台でIWGPヘビー級王座に挑戦できるのでしょうか?


棚橋選手は、防衛戦の相手として、G1クライマックスで黒星を喫したバッドラック・ファレ選手と内藤哲也選手を名前を挙げています。


これから、9月~11月にかけて挑戦権利証を掛けた防衛戦が行なわれることは間違いありません。


新日本プロレス2015年下半期、まだまだ目が離せません。

この記事を書いたライター: ターキー

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